生活

最近のマイブーム:ロッテリアのハンバーガー

答えを出さない=言語化からの逃げ

今回のゼミは前回の補足+「体験や経験を通じて成長できる人ってどんな人?」への回答でした!

 

これを踏まえて、

①前回の補足

②私たちのいろんな意見、構想を受けての須長先生の結論

③それに対しての発見

④先生からの問いへの答え

を書きます~~

 

 

 

①前回の補足

・知識からくる偏った価値観は危険だが、何も知らないことは、自分の選択肢を減らしてしまっていることと同じ。知識=悪ではなく、他を受け入れる柔軟な考えが大切。

 

「相手の言葉によって揺さぶられる能力」とは

人って誰でも承認欲求があるし、認められたい、褒めてほしい、と、自分から何かを発信するときは少なからず思っていると思います。その上で、自分に意見をくれる、こんな考え方もあるんじゃない?と提案してくれる人に対して、自分だけが正解だと思わずに、受け入れ、自分の答えを再度見直せる能力

 

「答えのない問い」答えを出さずに問い続けない

逃げだ。私はよく言ってしまうんです。

まあ、人それぞれだからね。

仕方ないね。とか

面倒なことを避けてしまってる...  これは答えがないからね!と言われると捕らわれずたくさんの考えを広げることができるけど、同時に、言語化をやめてしまってる。

 

でも、そういう時って必ずどこか引っかかるんですよね、自分の中に。でも気づかないふりしてしまいます。やめたい。やめる。

 

言葉にするのって本当に難しいし、よく、これは日本語でどうやっていえばいいんだろうっていう感情になるし、自分の気持ちにぴったりあてはまる言葉を見つけられるときなんてそうそうないし...

でもそれできたらかっこいいので、ひたすら訓練です。常に、言語化を怠らない!!

 

・利己主義は後付けの解釈でしかない

確かに、利己主義者からすれば当然みんな、自分のために行動しているとしか解釈できない。しかしそこにはそれぞれの動機や状況があり、利己主義者でないものからすれば、後付けでしかない。

 

 

②私たちのいろんな意見、構想を受けての須長先生の結論

・利己主義の魅力は世界の価値の反転(自分一人が目覚めているという世界観)

・「全てを説明できる理論はそもそもおかしい」(例:全部の行動は自分のため)

大事なのはその理論についての「正しい証拠」じゃなく、「間違っている証拠」

間違っているかもしれないことは、意味あることを言っている証拠

 

 

③↑の結論に対しての発見 

「間違っている証拠」の重要さを考えたことがなかった...

どうしても、その理論がどんなに正しいか、非がないか、を探してしまいがちだけど、どういう事例があれば間違っていたことになるのか。それを理解できているのとできていないのでは説得力が違うなあと感じました。 

 

これ、就活とかでもそうなのかもしれない!

 

自分の強みをどんなに話せても、自分の弱みを把握できてない人はこれからもその弱みを強みに変えることはできない。

 

私自身失敗してから自分の弱みに気づくので、気づいた弱みは変えていけるように。どういう場合失敗してしまうのか。考え直してみよう...

 

 

④ 森田先生からの問いの答え

「体験、経験を通じて成長できる人ってどんな人?」

...

最初私たちのグループで出たのは

・気づける人  ・成長しようとしている人

・こなすだけじゃない人  ・素直な人

・改善できる人

などでした。

 

成長する前に、成長したいという意思があって、経験や体験があり、その後振り返って改善する。という一連の流れができる人が成長できる人だ!と考えたわけですが、、、

 

そこで先生から、じゃあ、「成長」とは?「体験」とは?って言われて...

確かに、さっきまで哲学的な対話を行なっていたはずなのにそれを忘れて、また自分の価値観で語っていたなと思わされました。これ癖になってるなあ

 

そこで、「成長」とは何かを考えました。

 

上記のような、何かができるようになるとか、成し遂げるとか、そういうのも成長かもしれないけれど、「成長」はそれぞれの人に基準があって、理想があって、必ずしも結果だけを見て、「成長」とは言い切れないなと思ったんです。

 

結果が出なくても、たとえ思った通りにならなくても、何かを経て、次はこうしてみようとか、気持ちが前向きになっていたり...

 

私たちのグループは目に見えないそう言った変化も「成長」なのではないか、といった考えになりました!!

 

これを発表したあと須長先生は「どういう状況だと成長していなかったことになるのかを考えるべきだ」とおっしゃっていました。

 

➁にも書いたように、「どんな事例があったらこの理論は間違っていたと言えるのか」を考える、哲学的な対話の方法を忘れていたし、また自分の価値観で語ってしまっていた...

 

今回のゼミで気づかされたことが多すぎて、でもその気づいたことを全部実践して話そうとすると慣れてないせいで頭がこんがらがって...

 

でも、相手の言葉によって自分の価値観を考え直してみること、答えを出さずに問い続けないこと、はこれから一生忘れたくないくらい、大切にしたいなと思えました。

 

物事を考えることに対して、自分のなりのやり方や方法がまた増えたような感じがしてとても嬉しい三週間でした〜〜