音楽の授業、、完結!
https://mtokmsk1230119.hatenablog.com/entry/2019/07/16/191133
長崎での音楽の授業のまとめが半分しか終わってなかったので、今回はその続き。
資料を読んで
自分の心境の変化
について書こうと思います。
前回は主に授業を通して学んだこと、感じたことを書きました。
今回は ↓
・音と音楽の境界線(皿投げは音楽か?):野村誠
・共有するためには排除しない
・unlearnとは
・なぜ音楽をするのか
といった文献を通して、前回の授業と絡めた感想、思いを書きたいと思います。
・音と音楽の境界線(皿投げは音楽か?):野村誠
Aさんにとっては皿投げは音楽で、Bさんにとっては音楽じゃ無い
→ 一人一人が全く違った意味で「音楽」という言葉を使い、音楽の趣味嗜好も多様な時代に、僕らは生きている
@これが結論な気がします。正直、現代って選択肢が無限にあるじゃ無いですか、仕事も、スポーツも、音楽も。それを皆が少しだけ心にとどめておけば、他人を否定せず、自分はやりたいことをやれると思うんですよね。音楽に限らず!
・共有するためには排除しない
音楽を作る場には似た者同士が集まっているとは限らない。
本当そうで、自身もバンドをやっているけど、みんなの好きなアーティストもジャンルも違うのに同じ曲を練習する。食い違いが出てくる。結果、趣味嗜好の似ている人と集まる。になるんです。
@でも、「ズレていること」を認められたら、もっと楽しくなる。カバーを行なっている時点で、新しいものが作られていて、完璧にやる必要は無い。音楽は変化していくものだというメッセージを西田先生から感じました。
・unlearnとは
=学びほぐし=解体して組み替える
私たちは成長すると同時に、学ぶこと=学校での教育と刷り込まれてしまっている。だけど、学びは必ずしも、与えられて得るものだけではないし、評価を得るためのものでもない。
@学び=教育=勉強 と自分で関連づけてしまうのではなく、遊びの中にも学び、生活にも学びなど、常にいろんなことを結びつけて考える方が、きっぱり分けてしまうより自分の頭にも入って来やすいと思いました。
↑これ、長崎での授業の前、ゼミの時間に森田先生がおっしゃっていたことと同じだなって思ったんです!
DNAにデータを書き込むこと↓
https://japanese.engadget.com/2019/03/22/dna/
これを、トヨタの自動運転と一緒だ!って思ったんですよね。って先生が言っていて、もう何者なのかなと思いました(笑)
トヨタの自動運転化には、データを蓄積し、分析し、移動に役立てることが必要ですよね。それ=DNAにデータを書き込むことと同じだ!という捉え方。
分野が違うからと分けてしまうのではなく、カテゴリーごとに特徴があれば、どこかで結びつくことがあると考えているから、いろんな事柄を繋げて発展させられる。
しかも、音楽の授業とゼミでの先生の発言がこんなところで繋がっているー!
・なぜ音楽をするのか
なぜお金のためにも将来のためにもならない参与型音楽が必要なのか?
音楽のことなど気にかけて、一体何になるというのか?
機器や文化の発達により、音楽が「商品」や「芸術」となって来ている現代に必要なのは、もっと、気楽に、楽しく誰もが参加できる音楽が必要
@音楽の趣味嗜好も多様で、音楽に関する機器(スマホ、イヤホン)も数えきれないほどあって、ハードルが高くなっている→どうせできない
じゃなくて
単なる娯楽
じゃなくて
自分の好きな音楽、楽しめる音楽は、自分の生活、活動に何かしら影響を及ぼしている。
この考え方、本当に救われたというか。
別に私は音楽で食べていくわけじゃないし、どんなにたくさんの音楽を知っていても何にもならない。けれど、自分の一部になっている。その自分の一部は誇らしくて、好きな部分。それだけでいいのかなあと思えました。
近所の草野球がワールドシリーズと同じくらい価値あるもの
そう思って好きなことやれたらいいなあ!
今回の長崎での音楽の授業は、総じて、unlearn だったと思います。
自分の概念が解きほぐされて、音楽に対して新たな視点ができる。
自分自身、音楽をやるようになって、悩み、固まっていた考え方が、いい方向へ、解かれた気がします。
緊張しがちなのに、楽しめればいいや!と思って、7月のライブ成功しました!
今までやって来た中で一番楽しかったライブでした。西田先生、ありがとうございました。
今回得たものは、音楽だけじゃなくて、全てに生かしたいです。