フランケンシュタインと自己肯定感と今のメディア
今回は英文学を読む!
英文学とは、、、しかも「フランケンシュタイン」
イメージはあるけど細かな内容は知らない。そもそも文学なんだ、と思いました。(アニメとかだと思っていた)
イギリスの小説家、メアリー・シェリーによる1818年に匿名出版されたゴシックホラー小説。らしいです。
今回のブログは以下の三つについて書こうと思います。
①石川先生からの課題はまず3回読むことだったので、その感想
②それを踏まえての6/28のゼミ
③先生からの問いに対する自分なりの答え
→「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」
「自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるのか」
まず①「フランケンシュタイン」を読んでの感想
自由な感想、発見、疑問を自分の言葉で伝えてと先生が仰っていたので、ここでは本当にバババーっと書いていこうと思います。
・漢字が難しい
・そもそも「フランケンシュタイン」はかの有名なゾンビ的生き物でなく、それを創り出した学者の名前
・一文一文の表現が丁寧で頭の中に情景が思い浮かびやすい
(例)「彼女は人を和らげ魅了する愛の化身でした。」p50
「夜から月が姿を消し、再びやせ細った姿を現す。」p139
・想像していた物語の何倍も重く、苦しい話。人間の卑しい姿が描かれている。
・人死にすぎやろ
こんな感じでした。
内容について書きたいこともたくさんあるけど、みんなの想像している「フランケンシュタイン」と原作がかけ離れすぎているので、内容をかいつまんで書くのはやめにしました。
ここだけ見ると、ただ読んだ感想に過ぎないんですけど、先生からさらに詳しく聞き巻末を読むと、まあ視点が変わること。それは②や③に書きます。
②ゼミ ・文学とは
・作品を通して人間とは何かを学ぶ
・negative capability
まず先生が話してくださったのは文学とは...なんだか壮大なテーマ
でも身近なもので考えてみると、漫画、小説、ドラマ、映画、音楽など身の回りのエンターテインメントの全ての根底には「言葉」がある!そうで...
確かにこの全てに通づるものが「言葉」であり、どれにおいても私にワクワクやドキドキ、感動を与えてくれるのは、このエンターテインメントに包まれた「言葉」だと思いました。
私の話になってしまいますが、中学生ぐらいのとき、なんで自分は本を読むんだろうと考えたことがあって。
今となってはナゼそこに疑問を感じてたのかも分からないですけど。
その本に出てくる人の人生を体験できるからだ!って感じたんです。まず本に、自分と趣味嗜好が全く同じの人なんて出てこない。
自分が体験することのないような事柄を生きている登場人物たちの思考を知れることがとっても楽しかったんです。
この自分の考えが、先生が伝えてくださった「様々な作品を通して人間とは何かを学ぶ」に少し近い気がしてなんだか嬉しかったです。
そんなこと考えて本読んでるの?と少しバカにされたのが当時悲しかったので...
中学生の自分よ〜 大学行くといろんな人が自分の趣味や考えを認めてくれるんだよ〜
それと、石川先生が現在研究されているJohn Keatsさんの言葉「negative capability」→答えが出ない(分からない)を敢えて放置する
フランケンシュタインの著者、メアリーシェリーの生きていたころは結論を出さないエンターテインメントが、ワクワクを作り出すものとして主流だったそう。
それに対して今のドラマ、映画、メディアは答えを用意しすぎなんじゃないか?
それにメディアが提示している「言葉」って正しいの?
「言葉」によって私たちは制御されてるんじゃないの?
石川先生の発言に自分はとてもハッとさせられました。
先生の指していたことは私の考えていたこととは違うかもしれないけど、脱毛するべき!とか肌は綺麗であるべき!とかメディアによる押し付けってこんな身近なところにもあるよなあと思いました。
これを読んでいたってのもあるけれど!
話がそれてしまいましたが、
文学=言葉=エンターテインメント がゼミをすごく簡単にまとめたもの!かな
③先生からの問いに対する自分なりの答え
「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」
→良い悪いじゃなくて、単純に嫌。なんで嫌かというと、大切に生きなくてよくなるから。
めちゃめちゃのネタバレになるけど、
科学者と怪物(フランケンシュタイン)
=
神と人間
の構造のように、全く同じのクローンを作ったとして、必ず優劣がつくと思うんです。先に生を受けている方に。
第一号の代わりでしかない第二号、第三号を同じように大切にできないですよね。
対等に向き合っているからこそ、その一つに向けた大きなエネルギーをいくつも作り出せないでしょう。
「自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるのか」
→まず自己肯定感とは?
自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心、自己存在感、自己効力感、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられることがある。 ーWikipediaより
んん、、グサグサきますね。承認欲求に飢えまくっている私たち世代はどうしてこんなに自己肯定感が低くなってしまったんですかね。
すぐ浮かんだのはSNS断ちですね...
自分が劣っているって感じるのは、比べる相手がいるからじゃないですか。
しかもインスタグラムなんて、とっても遠い世界の華やかな人たちが厳選した華やかな自分披露の場になってしまってるじゃないですか。
でもこの段階で自己肯定感が元に戻っただけで実感はできないだろうなあ。
多分、自己肯定感を低くさせている根元のSNSで、その土俵で自己肯定感を取り返そうとすることがいけないんじゃないかなあ。
土俵を一度降りて、自分の目で見たものだけを信じる。
自分なりの対策としては、SNS上で作り上げた自分より現実の自分の方をもっと好きになることです。これがまた難しいんだけれど、作り上げた自分にすがるより、現実の自分はもっとたくさんのことを勉強して、いろんなことを感じているんだと思えれば、スッと着飾った土俵から降りられる気がするんです。
それこそ旅とか、本とか、音楽とかいろんなことを吸収することが大事だと思う!
私はそうやって、迫り来る「自己肯定感を下げる何か」から毎日逃げています。
本を読み返していたら更新が遅くなってしまいました。「フランケンシュタイン」は、きっと私がこれから何回も読み返す本の中の一冊になります。