スピードッッッッッ2020ネン
今年の自分とゼミをざざざっと振り返る!
前期は、視野を広げるために哲学、文学、音楽、旅、について触れました。後期は、大学生の嬉しい瞬間を元に、七隈祭の出店プロセスを考えました。後期の内容については、振り返りブログと別に詳しくまとめようと思っております。ゼミの内容については、過去のブログに詳しくまとめているので、ゼミで得たものや、考えの変化などを書きたいな。
今日のブログは
①前期のゼミを経て
②後期のゼミを経て
③私生活
の三部作にします。自分祭り。
〜まず①前期のゼミを経た自分について〜
哲学、文学、音楽、旅、全て、この世界の専門家のお話を聞くことができて、深い世界への導入みたいな内容だったな。と感じています。それに、一つ一つの世界にのめりこむことはなくとも、毎日の講義や、毎日の生活にまで影響するものとなりました。ここが自分的には一番気づけてよかったなと思っている点で、決して大げさなんかじゃなく、一般教養の講義において、話の聞き方や、自分なりの見解を持つ時の軸ができたと感じています。
なぜそんな変化が起きたのか。
文学、音楽、旅、は、文学の読み方の幅を広げてくれる、才能がなくとも音楽は生きるみんなに彩りを与えてくれる、旅は日々新しいものに触れる大切さを教えてくれる内容でした。(一文でかくには到底足りないくらい濃い内容でしたが)
哲学では、若さに頼って柔軟だと思い込んでいた自分がすでに価値観の固まり始めた人間である事に気づけました。
知識や価値観が形成されていくうちに、その「目」でしか物事を捉えることができなくなる。
これ、ずっと忘れないようにしないといけない。須長先生のお話を聞くまでは、とにかく吸収する事に力を注いで、深掘りしたり、知識を求めて動いていました。勉強している気になれますしね。
けどそうすると、知識を取り入れるだけで終わったり、いかに自分の考えを相手に理解してもらうかに重点をおいてしまうんです。「問い」を立て、自分の知識を解体して、相手の言葉によって揺さぶられる。講義を受けるときや勉強するときにこの一つの工程が増えるだけで、違った価値観をはねのけてしまう自分がいなくなりました。
こんな感じで、講義と学びと知識はどこかしら繋がっていて、どこが繋がっているかなんかを記憶から引っ張り出す事の楽しさに気づけたのが前期の大発見でした。
〜②後期のゼミを経た自分について〜
すっごく簡単にまとめると、「大学生って何に嬉しさを感じるのか」から、大学生がどこに価値を感じるのかを抽出し、儲けも含めビジネス(七隈祭の模擬店)にするにはどうすればいいかを考えました。最終的な目的は私たちが出店するのでは無くて、後輩たちが出店する場合に使える出店プロセスをまとめることでした。
過程は↓こんな感じ。
体験から価値を発見する事も、似た価値をグループ分けする事もどれも時間がかかったのですが、特に店構えとプロトタイプがなかなか決まりませんでした。
価値の連鎖があって、大学生は嬉しいと感じるんじゃないかというのは見出せたけど、それを模擬店に反映するのが難しい。
せっかく価値を抽出しても、儲けを意識した途端にどういうものが売れそうかっていう視点に切り替わってしまうんですね。さっきまで大学生の「嬉しい体験」を作り出そうとしていたのに、現在の模擬店の問題点とか、こういうのがウケるだろうという話し合いになってしまう。
それで進めていくと、一つ一つの工程はうまくいっても、最終的なプロトタイプが決定した時に、「なんか目指していたものと違くない?」ってなりました。
・視線を上げて取り組むこと
・出店までの各工程を一連の流れとして何度も立ち返りながら進めること
が、必要不可欠でした。どちらも森田先生のアドバイスを自分なりに解釈したものです。これを意識しながら進めたというより、終わってみて、これをやらないと完成できなかったよね、ってなったから、二年生には実践してみてほしいな!
反省点は、スピード感です。
利益や実際の出店を想像すると、意思決定のスピードがすっっっごく減速してしまったなと思っています。メニューを決めるにも、模擬店の外観やPOPを決めるにも、一度決めてしまうと変えられないといった責任感からかな。想像で補うより作ってみるしかないところだなと感じました。
、、とこんな感じで、まだ各工程で詰まったところや、改善すべきところ、来年やるならばこうした方がいいなど、細かいところを後日ブログに載せようと思っています。
〜③私生活について〜
年を越す直前が誕生日で、毎年年末は一年間の振り返りとともに、その年齢の自分を振り返る時期にもなっています。今年は歳をとる三時間前に、20歳の自分を残しておかなければ!と一時間ほどパソコンに向かっておりました。
言語化を意識した一年にできたかな〜〜〜〜。twitterなんかも、何度も読み直して投稿したり、みた映画や聞いた音楽、入ってきた情報に対して自分が何を思ったかのメモ帳になっております。
あとは、これも別のブログにまとめたいのだけれど、レジ袋削減のプロジェクトを通して、環境問題にどう取り組んでいくべきかを常に考える年になった。日本って本当に環境問題において遅れてるなあ、プラスチック大国だなあと、自分の無力さを感じます。地球に生きる者として、環境を意識する事がもっと当然になればいいのに。というかしたい。↓
衝動買いしたこの雑誌、わかりやすくてよかったです。
サークルも、部活も、自炊も、頑張れたのかな。でも全てゆっくりだった。2020はタフ、健康、スピード感を掲げて生きたいです。
それと、2019の私はなんか、怒ってた!!!!ムカつくニュース、増えてませんか?日本。
政治より、芸能人のスキャンダルが流れるし、環境問題に立ち上がる若者は毛嫌いされるし、フェミニズムが「女対男」のようなずれた論点になっていたり、、、とにかくムカつくことが多かった。本当に話さなければいけない事、解決しなければいけないところからずれてるの!!!!なんか!!!!!
もっともっといろんなことに触れたい、怒らなくていい、新幹線くらい勢いのある2020にしたいです。
皆さんの2020も素敵な年になりますように〜〜〜〜〜〜
全員リモートワークの会社!?
今回は従業員全員がリモートワークである、株式会社キャスターの須田さんにお越し頂いて、須田さんが「どんな経緯で今の職に就いたのか」や「リモートワークの実態」をお話ししていただきました。
そこで、須田さんのお話から感じたこと、リモートワークに対しての考えを今回はまとめようと思います!
須田さんは現在、キャスターのコミュニティーマネージャー(マーケティング、企画の立案、運用)や、その他副業もこなしているそう。
須田さんを詳しく知れる記事はこちら
↓
https://nakanono.com/remoteworker-interview-06-ayano_suda/
最初に就職したのは人材派遣の会社で、何人もの転職者たちを見て、会社を見て、キャスターに決めたそうです。
人材を派遣するプロだからこその会社の選び方ですよね。
そんな須田さんは、きっと大学の時から超優秀で、自分の意志をしっかりもって就活もしてるだろう...って思うじゃないですか。
でも、私たちと変わらない普通の大学生だったそうで!(大学時代は恋愛とバイトに明け暮れていた..言っていいのかなこれ)
しかし、じゃあ私たちも就職できるじゃん!とはなりませんでした。
須田さんの一番の武器は「自分の欲求に正直であること」、「粘り強いこと」だと、お話を聞いていて強く感じました。
・周りは関係ない
・こだわりを持って行動する
ここが私とは違う。私の弱点であるとも思いました。
就活って、自分のことでしかないのに、なぜか周りが気になる。
夏休みインターン行った?とか、就活のこと考えてる?とか聞いちゃうんですよ。もちろん、みんなの頑張りを見て、もっと自分も頑張ろうとなるのはいいことだけれど、私は、周りの行動を気にして、就活に対して負の方向に心が働いてしまっているなあと思いました。
でも実は須田さんの綺麗なネイルを見てなんだか勇気付けられました。ネイルってすぐ伸びて根元の爪が目立っちゃうし、はげちゃうし、綺麗に維持するにはサロンに定期的に通ったりしないと行けない。須田さんはそれが出来てるんだろうなあ、と。
憶測ですが、リモートワークの特権なのかな?とも思いました。(毎日出勤、夜に退社、だと、ネイルサロンに通うより寝たいって思いそうだから 笑)
須田さんのお話から、自分の最近ダメなところが見えてきた。というかこれ多分ずっと弱点だ。
「謎の不安に苛まれる時間あるなら行動する」
叩き込みます。即行動!
次にリモートワークについて。
聞いたことはあるけれど、深くは知らず、こんな身近なところまで広がっているんだ...!と思いました。
上記の記事の須田さんの一日を見るとわかるように、一切出勤しない。まさに新しい働き方。社員はチャットでやり取りするんです。
キャスターが展開する、在宅ワーカーがアシスタントを行う企業向けのBPOサービス「CasterBiz」↓
https://s.furikake.doda.jp/article/2019/01/26/1113.html
後半は、CasterBizの概要を聞き、それぞれがリモートワークについて感じたことについてアンカンファレンス式のワークショップを行いました。(それぞれが書いたポストイットをグルーピングして、分けたグループごとに意見をまとめる)
私たちのグループは「これからのリモートワーク」について話し合いました。
場所に縛られない。時間を自由に使いやすい。でも、業務の内容に関してはハードルが高い。秘書、経理、人事、Web運用... どれも私にはまだ到底出来ないことで、在宅だと任せられた仕事が出来るか出来ないかのスキルの世界。
リモートワークは魅力的だけれど、夢のまた夢だなあと思っていたところ...
須田さんが、私たちのグループで、「私は、明日会社を辞めても困らない自分になりたい」とおっしゃっていたんです。
多分、今、私が不安に感じていることの大半は、自分に力が足りてないからなんです。それに対して、須田さんは自分のスキルに自信があって、ぜひこの人と一緒に仕事がしたいと思わされる魅力がある。
...かっけえな社会人!てなりました 笑
リモートワークは一つの選択肢であり、もちろん自分も選択できる。その道を選択したいと思った瞬間に飛び込めるような人間になっていたいと思いました。
年金や賃金の問題、目の前まで迫っている問題を私たちは見て見ぬふりをしている気がします。それも就職に対する不安の要因の一つであったりする...
でもまずは行動。こだわりきれるようにたくさん行動したい!!
行動一つめ。1日1ツイートを目標に見るだけだったTwitterを始動させたのでフォロー待ってます〜〜
音楽の授業、、完結!
https://mtokmsk1230119.hatenablog.com/entry/2019/07/16/191133
長崎での音楽の授業のまとめが半分しか終わってなかったので、今回はその続き。
資料を読んで
自分の心境の変化
について書こうと思います。
前回は主に授業を通して学んだこと、感じたことを書きました。
今回は ↓
・音と音楽の境界線(皿投げは音楽か?):野村誠
・共有するためには排除しない
・unlearnとは
・なぜ音楽をするのか
といった文献を通して、前回の授業と絡めた感想、思いを書きたいと思います。
・音と音楽の境界線(皿投げは音楽か?):野村誠
Aさんにとっては皿投げは音楽で、Bさんにとっては音楽じゃ無い
→ 一人一人が全く違った意味で「音楽」という言葉を使い、音楽の趣味嗜好も多様な時代に、僕らは生きている
@これが結論な気がします。正直、現代って選択肢が無限にあるじゃ無いですか、仕事も、スポーツも、音楽も。それを皆が少しだけ心にとどめておけば、他人を否定せず、自分はやりたいことをやれると思うんですよね。音楽に限らず!
・共有するためには排除しない
音楽を作る場には似た者同士が集まっているとは限らない。
本当そうで、自身もバンドをやっているけど、みんなの好きなアーティストもジャンルも違うのに同じ曲を練習する。食い違いが出てくる。結果、趣味嗜好の似ている人と集まる。になるんです。
@でも、「ズレていること」を認められたら、もっと楽しくなる。カバーを行なっている時点で、新しいものが作られていて、完璧にやる必要は無い。音楽は変化していくものだというメッセージを西田先生から感じました。
・unlearnとは
=学びほぐし=解体して組み替える
私たちは成長すると同時に、学ぶこと=学校での教育と刷り込まれてしまっている。だけど、学びは必ずしも、与えられて得るものだけではないし、評価を得るためのものでもない。
@学び=教育=勉強 と自分で関連づけてしまうのではなく、遊びの中にも学び、生活にも学びなど、常にいろんなことを結びつけて考える方が、きっぱり分けてしまうより自分の頭にも入って来やすいと思いました。
↑これ、長崎での授業の前、ゼミの時間に森田先生がおっしゃっていたことと同じだなって思ったんです!
DNAにデータを書き込むこと↓
https://japanese.engadget.com/2019/03/22/dna/
これを、トヨタの自動運転と一緒だ!って思ったんですよね。って先生が言っていて、もう何者なのかなと思いました(笑)
トヨタの自動運転化には、データを蓄積し、分析し、移動に役立てることが必要ですよね。それ=DNAにデータを書き込むことと同じだ!という捉え方。
分野が違うからと分けてしまうのではなく、カテゴリーごとに特徴があれば、どこかで結びつくことがあると考えているから、いろんな事柄を繋げて発展させられる。
しかも、音楽の授業とゼミでの先生の発言がこんなところで繋がっているー!
・なぜ音楽をするのか
なぜお金のためにも将来のためにもならない参与型音楽が必要なのか?
音楽のことなど気にかけて、一体何になるというのか?
機器や文化の発達により、音楽が「商品」や「芸術」となって来ている現代に必要なのは、もっと、気楽に、楽しく誰もが参加できる音楽が必要
@音楽の趣味嗜好も多様で、音楽に関する機器(スマホ、イヤホン)も数えきれないほどあって、ハードルが高くなっている→どうせできない
じゃなくて
単なる娯楽
じゃなくて
自分の好きな音楽、楽しめる音楽は、自分の生活、活動に何かしら影響を及ぼしている。
この考え方、本当に救われたというか。
別に私は音楽で食べていくわけじゃないし、どんなにたくさんの音楽を知っていても何にもならない。けれど、自分の一部になっている。その自分の一部は誇らしくて、好きな部分。それだけでいいのかなあと思えました。
近所の草野球がワールドシリーズと同じくらい価値あるもの
そう思って好きなことやれたらいいなあ!
今回の長崎での音楽の授業は、総じて、unlearn だったと思います。
自分の概念が解きほぐされて、音楽に対して新たな視点ができる。
自分自身、音楽をやるようになって、悩み、固まっていた考え方が、いい方向へ、解かれた気がします。
緊張しがちなのに、楽しめればいいや!と思って、7月のライブ成功しました!
今までやって来た中で一番楽しかったライブでした。西田先生、ありがとうございました。
今回得たものは、音楽だけじゃなくて、全てに生かしたいです。
手、足、無音、空間から生まれる音楽?
今回のゼミのテーマは「音楽」in長崎
先週、音楽についてのマインドマップを書きました。
・音楽とは
・人はなぜ音楽するのか
など、一瞬頭が固まってしまうものばかり...
なんとか書き出しましたが、「音楽」に対して思考しすぎのような図になっています。
でも、長崎での音楽の授業を経て、考え方がとても柔軟になったし、救われたような気持ちになりました。
今回のブログは
①授業の内容 (体を動かしたもの)
②授業内容(資料を読んで)
③冒頭に書いたような、自分の心境の変化
について主に書こうと思います。
まず、音楽の先生って、ひげが長いおじいちゃんか、女性のイメージあるじゃないですか。
西田先生めっちゃマリンスポーツしてそうなの。
それはいいとして、まず西田先生から短めの自己紹介。音楽と人との関わりをサポートしているそう。武蔵野音楽大学出身で、ホルン専攻、大学院からは音楽療法などを学んだそうです。
その後、今日の概要の説明があり、さっそく「体を動かす」ことになりました。音楽だけど体を動かす...?
主にやったことは、
(前半)
円になり、手をたたき、物を触って楽しむ
手や足の音でリズムを作る
好きなように太鼓をたたいてみる
(後半)
外の音を聞く(遠い、近い、大きい、小さい)
目をつむって外を歩く
ゆっくり、周りの音に耳を傾けて歩く
トーンチャイムを鳴らす
座って目をつむり、その音を聞く
音を聞きながらリラックスする
「音楽」の授業だけれど、歌を歌ったり難しい楽器を演奏したりはしないんです。
こうやって箇条書きにすると量の多さにびっくりしました。
簡単ですが、普段適当にやってしまっていること、小さいころはやっていても今はもうやらなくなってしまったことを「丁寧」にやっただけなんですね。丁寧だから多く感じる。
前半においては、
・手や足だけでリズムができ、みんなでそろえばアンサンブルにもなること
・無音の時間も楽しむこと
・打ち合わせがなくても楽しめること
を知りました。
先生が伝えたかったのは「概念」「先入観」を見つめなおすことなのかもしれない!
私の音楽に対する「概念」は生きてきた中での積み重ねで、小学校のころの合唱、リコーダー、中学のころのピアノ、歌、メロディ、など、狭い世界に塗り固められているなあと感じました。
手をたたき、みんなで三拍子、四拍子を刻むだけでこんなにも楽しい。
後半の「外の音を聞く」
サウンドスケープというそうです。
↓これは目をつむって2人1組で歩きました。視界を閉じ、音をよく聞くためです。(怖すぎて逆になにも聞こえませんでした自分の声が大きくて)
私たちの世界には、風、雨、水、足音、、など、旋律じゃないものも溢れている。
でも、旋律だけが音楽じゃない、と西田先生がおっしゃっていました。
なんて素敵な考え方なんだ~
その次に、円を作って座りその周りに人を配置し、トーンチャイムを演奏しました。
座っている人は聞く。立っている人は演奏する。楽譜など一切ない、ただ鳴らしたいときに鳴らすんです。
決められた枠や、時間の上にのっているものだけが音楽じゃない。
空間に音をデザインすることもできるんだよと教えてくれました。
どんどん私の概念がほぐされていく時間でした。
①授業の内容(体を動かしたもの)については以上です。
これが②授業の内容(資料について)にすごーーーーく結びついている。
概念や、音楽に対する価値観を揺さぶられたような時間でした。
実はそういう時間だったんですね。(意図されていた)
先生の作ってくださった資料を読むごとに自分の揺さぶられた価値観が少しづつ、固まりすぎず形を形成してきて、先生の意図を感じられました。
長くなりそうなので、②授業の内容(資料について)と③自分の心境の変化は次のブログに書こうと思います~
自制と利己主義と私
今回のゼミも引き続き文学。
先週出された「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」
「自己肯定感はどのようにえられるか」をゼミ生と先生で話し合いました。
それについて、①自分の結論 ②先生の結論をまとめたいと思っています〜。
まず、「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」について、自分のアイデアを思いつく限り出しました!
こんな感じ↓
八割くらいが反対意見かな。実際、賛成意見は無理やり出しました。
次に、出したアイデアを客観的に賛成か反対か、主観的に賛成か反対かを分け、表にしました。
四人グループでやったのに客観的賛成が一つもないんです。
石川先生曰く、この四つを全て埋めることで、是非の議論ができたり、新しいアイデアが生まれるそう。
卒論とかにおいて是非を考えるって重要なことだと思うからこれは使える。
というか、普段の話し合いでもなんでも使えると思う!
一つの捉え方から四つの捉え方になれば、話の幅が相当広がるんじゃないかなあ〜
これは、心がけたい、覚えておきたいポイントです!
また、先生の述べていた「主観的に賛成」の意見。
・自分のクローンがいれば、楽できる
・クローンを自分のスペアパーツ扱いできる
いやまあ確かにそうなんですけども、、なんだか口に出しづらいですよねこれ。
確かにそうだけども、「自制」が働くでしょ?それってなんで?
って問いかける先生がなんだか怖く見えました。すみません。
でも、これって前学習した哲学の授業に繋がっているんじゃないだろうか...
「自制」って「利己主義」なのかもしれない。
以前、利己主義についてブログを書いた時、とっても簡単に書くと、「利己主義は誰しもあるけれど、親しい間柄や愛のある関係には働かない、働かないでほしい(人間の本当に愛に利己主義は関与しないと思う」
みたいなことを書きました。
https://mtokmsk1230119.hatenablog.com/entry/2019/04/25/191240
これって「自制」にも繋がっている。
親しい人、大切な人、物には利益だけを目的とした行動はしないように「自制」しますよね?
先生の述べた意見を私たちゼミ生が誰も出さなかったのは、「自制」が働き、「利己主義」を抑えたからなんじゃないかな。
その根底には、
・冷徹だと思われたくない
・そんな意見を出すと変な人だと思われる
とか、
・スペアパーツ扱いされるクローンがかわいそう
・なんだか自分が悪者みたいに思われそう
っていう様々な気持ちがあったんじゃないかなあ。
先生はその違和感を引き出すためにそういった、一見冷たいように感じられる意見を述べたのかな思いました。
二つ目
「自己肯定感はどのように得られるか」
みんなの意見を聞いて、本当に人それぞれ自己肯定感の高め方ってあるんだなあと正直びっくりした。
こんな感じで全員分の意見を聞くことが出来たのだけれど ↓
・褒められたい
・自分に課した課題をクリアする
・存在を認められる
・身近な人からの評価
などなど!
正解不正感なんてないけど、褒められる、認められるで、私は自己肯定感は上がらないです。
そもそも他人に左右されてしまう自己肯定感を、他人に高めてもらうことは自分にとって不可能なんですよね...
「褒める」「認める」って「するフリ」が出来ますからね。
そりゃあ〜嬉しいですけども!
グラグラした不安定な自己肯定感でしかないと思うのです。
私はとにかく「好きなことに対する知識を増やす」ですね。
不安が減るというか...
自分の好きなようにすることが、自分を認めてあげられる一番の方法だと思うんです〜。
長々と自分の自己肯定感の高め方について書きましたが、またまた先生が一言。
「自己肯定感を高めてくれるのは一番近い存在の彼氏、彼女、配偶者。」
人間には「本音と建前」があるから、極論、認めてほしいから付き合うんです。
ズバあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めっちゃ言うやん。話の流れ的にふんわり心の中にあった物を言ってしまうやん。
本当に勝手な解釈なのだけれど、これまた利己主義や自制について気づかせるためにわざと言ったのかもしれないなあなんて思いました。
何を思いつくにも「利己主義」と人間の頭って切っても切れない関係なんだな。
これは利己主義じゃなくて愛なんだって言える人間でありたいー!
文学の登場人物、内容から、またまた哲学について考えさせられる回になりました。
フランケンシュタインと自己肯定感と今のメディア
今回は英文学を読む!
英文学とは、、、しかも「フランケンシュタイン」
イメージはあるけど細かな内容は知らない。そもそも文学なんだ、と思いました。(アニメとかだと思っていた)
イギリスの小説家、メアリー・シェリーによる1818年に匿名出版されたゴシックホラー小説。らしいです。
今回のブログは以下の三つについて書こうと思います。
①石川先生からの課題はまず3回読むことだったので、その感想
②それを踏まえての6/28のゼミ
③先生からの問いに対する自分なりの答え
→「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」
「自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるのか」
まず①「フランケンシュタイン」を読んでの感想
自由な感想、発見、疑問を自分の言葉で伝えてと先生が仰っていたので、ここでは本当にバババーっと書いていこうと思います。
・漢字が難しい
・そもそも「フランケンシュタイン」はかの有名なゾンビ的生き物でなく、それを創り出した学者の名前
・一文一文の表現が丁寧で頭の中に情景が思い浮かびやすい
(例)「彼女は人を和らげ魅了する愛の化身でした。」p50
「夜から月が姿を消し、再びやせ細った姿を現す。」p139
・想像していた物語の何倍も重く、苦しい話。人間の卑しい姿が描かれている。
・人死にすぎやろ
こんな感じでした。
内容について書きたいこともたくさんあるけど、みんなの想像している「フランケンシュタイン」と原作がかけ離れすぎているので、内容をかいつまんで書くのはやめにしました。
ここだけ見ると、ただ読んだ感想に過ぎないんですけど、先生からさらに詳しく聞き巻末を読むと、まあ視点が変わること。それは②や③に書きます。
②ゼミ ・文学とは
・作品を通して人間とは何かを学ぶ
・negative capability
まず先生が話してくださったのは文学とは...なんだか壮大なテーマ
でも身近なもので考えてみると、漫画、小説、ドラマ、映画、音楽など身の回りのエンターテインメントの全ての根底には「言葉」がある!そうで...
確かにこの全てに通づるものが「言葉」であり、どれにおいても私にワクワクやドキドキ、感動を与えてくれるのは、このエンターテインメントに包まれた「言葉」だと思いました。
私の話になってしまいますが、中学生ぐらいのとき、なんで自分は本を読むんだろうと考えたことがあって。
今となってはナゼそこに疑問を感じてたのかも分からないですけど。
その本に出てくる人の人生を体験できるからだ!って感じたんです。まず本に、自分と趣味嗜好が全く同じの人なんて出てこない。
自分が体験することのないような事柄を生きている登場人物たちの思考を知れることがとっても楽しかったんです。
この自分の考えが、先生が伝えてくださった「様々な作品を通して人間とは何かを学ぶ」に少し近い気がしてなんだか嬉しかったです。
そんなこと考えて本読んでるの?と少しバカにされたのが当時悲しかったので...
中学生の自分よ〜 大学行くといろんな人が自分の趣味や考えを認めてくれるんだよ〜
それと、石川先生が現在研究されているJohn Keatsさんの言葉「negative capability」→答えが出ない(分からない)を敢えて放置する
フランケンシュタインの著者、メアリーシェリーの生きていたころは結論を出さないエンターテインメントが、ワクワクを作り出すものとして主流だったそう。
それに対して今のドラマ、映画、メディアは答えを用意しすぎなんじゃないか?
それにメディアが提示している「言葉」って正しいの?
「言葉」によって私たちは制御されてるんじゃないの?
石川先生の発言に自分はとてもハッとさせられました。
先生の指していたことは私の考えていたこととは違うかもしれないけど、脱毛するべき!とか肌は綺麗であるべき!とかメディアによる押し付けってこんな身近なところにもあるよなあと思いました。
これを読んでいたってのもあるけれど!
話がそれてしまいましたが、
文学=言葉=エンターテインメント がゼミをすごく簡単にまとめたもの!かな
③先生からの問いに対する自分なりの答え
「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」
→良い悪いじゃなくて、単純に嫌。なんで嫌かというと、大切に生きなくてよくなるから。
めちゃめちゃのネタバレになるけど、
科学者と怪物(フランケンシュタイン)
=
神と人間
の構造のように、全く同じのクローンを作ったとして、必ず優劣がつくと思うんです。先に生を受けている方に。
第一号の代わりでしかない第二号、第三号を同じように大切にできないですよね。
対等に向き合っているからこそ、その一つに向けた大きなエネルギーをいくつも作り出せないでしょう。
「自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるのか」
→まず自己肯定感とは?
自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心、自己存在感、自己効力感、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられることがある。 ーWikipediaより
んん、、グサグサきますね。承認欲求に飢えまくっている私たち世代はどうしてこんなに自己肯定感が低くなってしまったんですかね。
すぐ浮かんだのはSNS断ちですね...
自分が劣っているって感じるのは、比べる相手がいるからじゃないですか。
しかもインスタグラムなんて、とっても遠い世界の華やかな人たちが厳選した華やかな自分披露の場になってしまってるじゃないですか。
でもこの段階で自己肯定感が元に戻っただけで実感はできないだろうなあ。
多分、自己肯定感を低くさせている根元のSNSで、その土俵で自己肯定感を取り返そうとすることがいけないんじゃないかなあ。
土俵を一度降りて、自分の目で見たものだけを信じる。
自分なりの対策としては、SNS上で作り上げた自分より現実の自分の方をもっと好きになることです。これがまた難しいんだけれど、作り上げた自分にすがるより、現実の自分はもっとたくさんのことを勉強して、いろんなことを感じているんだと思えれば、スッと着飾った土俵から降りられる気がするんです。
それこそ旅とか、本とか、音楽とかいろんなことを吸収することが大事だと思う!
私はそうやって、迫り来る「自己肯定感を下げる何か」から毎日逃げています。
本を読み返していたら更新が遅くなってしまいました。「フランケンシュタイン」は、きっと私がこれから何回も読み返す本の中の一冊になります。
毎日を「旅」にするには?
前回のブログでは、嶋田さんについてや、旅に対しての捉え方、旅の方法などを書きましたが、今回は、じゃあそれを踏まえて、私たちはどうすれば、毎日を「旅化」できるのか?を書いていきたいと思います。
森田先生の出す問いはいつも難しいんや〜〜
その前に、嶋田さんがなぜ「旅」思考になったのか。を、自分なりの解釈でまとめます。
・「日常にいつもと違うもの(楽しい)を取り入れる」
・いきたい希望を持ち続ければ必ず機会がくる
嶋田さんが言っていたのはこんなことではなかろうか..?
二年生の時に参加したデザインネクストというイベントで、管さんもこのようなことを言っていた!とふと思い出しました。
↓
https://mtokmsk1230119.hatenablog.com/entry/2018/07/17/171444
ここで私が重点的に「本当の課題を発見する、見抜く力」と書いていますが、ここが嶋田さんとつながるところだなあと思ったんです。
前回のブログでも書いたように、何回も旅を経験することで「人、物、場所を見抜く力がつく」とか!!
菅さんも、違う道で帰ってね〜って言ってました。
二人が通ずるのは、日常の中で常に新しい発見を求めていることだ!!
次に、「日常を旅化するには?」をグループで考えていきました。
「哲学的対話」のように、まずは「旅とはなんなのか」を考える...
・自分が旅だと思っていれば旅
・新しい発見があったら旅
、、一つ目はなんだか曖昧。じゃあ思うだけで変わるのか、思ったとしてもなんの変化もなければそれはただの日常
そこで、日常を旅化するためには何が必要なのかを考えました。
・慣れてないことをしてみる↔︎できることだけをしない
・時間に余裕を持つ(キツキツのスケジュールだと、生活が同じパターンになる)
・普段と違う自分を意識する
・旅と思うことで、いろんなことに対して寛容になる(知らない人と話す、出会いを大切にする)
「寛容になる」
これめっちゃ大事だ!社会人の方がおっしゃった言葉で、とってもピンときました。
旅してる時、電車乗り過ごしても、現地の人に怒られても、雨でも、だいたい許せる。
旅にとってハプニングは当たり前だから!
毎日の中で、↑みたいなことが起こったら正直テンション下がりますよね。
でも、許せてしまうことで、毎日と違う毎日を送ることができる。
違う観点で過ごすことができる。(時間に余裕を持つも実践できたら尚良い)
寛容になるが「日常を旅化するには?」の結論です。
ゼミの話し合いでは結論が出ずモヤモヤしたけど、書いているとだんだんそんな気がしてきました(笑)
一週間の予定をきちんと立てること、時間に余裕を持つこと、寛容になることから始めてみようと思います。
短いですが、今日はこの辺で!!